2012年9月7日金曜日

4度目の陸前高田市


4度目の陸前高田市へ

陸前高田市のイベントに参加して一年が経った。現地の様子を思い浮かべていたところ、お菓子屋を営む木村屋の木村さんからメールをいただいた。菓子製造工場建設まで一時的に使用されていたコンテナキッチンを別の用途で使いたいとの事である。コンテナキッチンは一年前に現地を訪れた折に戸羽太市長から「特産品づくりの支援を」と依頼され、先ずはお菓子を製造できる環境を整えようと輪島市から陸前高田市に運び込んだものである。ちょうど良いタイミングで東京出張があるので、出発を一日早めて陸前高田市まで足を伸ばす事にした。

8月5日、東京を経由し新幹線で岩手県に入り、一ノ関市からレンタカーを走らせると、青い空は次第に鉛色に変わってきた。気仙沼市に差し掛かる頃には大きな雨が降り、いつもより早いで日暮れのなかを走り陸前高田市に到着した。宿に車と荷物を置いて木村さんと居酒屋へ向かう。そこで迎えてくれたのは還暦の女性二人だった。コンテナキッチン使用の計画について説明を受け、有効に使用していただきたいとお二人にお願いをした。

コンテナキッチンは、仮設住宅入居者らと地域住民を対象としたコミュニティハウスの調理場として使用される事になった。震災から一年半が経過し、仮設住宅の住民らのコミュニティづくり、交流環境づくりが大切だと感じているご夫人方が、ボランティアとしてコミュニティハウスを運営して住民の情報交換と憩いの場を設け、飲み物やお菓子、軽食を提供したいとの事だ。新しいミッションをいただいたコンテナミニキッチンの設置場所など、翌日に視察させていただく事にした。

懇談した居酒屋には多くの客が入り終始賑やかな店内だった。震災後に開店したプレハブの店内は小綺麗に整理され、軽く飲んで談笑するには十分すぎるお店だった。木村さんにサンマの刺身を進められ、親戚を訪ねているような気分で遠慮なくお酒をいただいた。そして、ほろ酔い加減で宿に帰り、フロントに居た若主人とお話をした。震災発生直後、私は現地の状況を知ろうとツイッターで情報を集めていた。そのなかでいち早く現地情報を発信していたのがこの宿の若主人であり、フォローして情報を得ていた。そんな縁もあり、彼の視点に寄る復興状況や実感を聞かせていただき一日を終えた。

昨日は日が沈んだあとに陸前高田に入ったため、景色を望む事はできなかった。今朝は早朝から市内を走り回り、復旧状況の確認をした。が、変わっているのは瓦礫置き場の場所や仕分けされて整然と積まれた様子だけに見える。昨夜の懇談でその後の状況をお聞きしたが「変わっていない」と話されたのはこの事だと合点した。

仮設市役所に通勤する職員さんの数が増えて来た。昨年訪問の折に担当をしていただいた職員を訪ねて、お礼と現状をお聞きするはずだった。しかし、長期休暇との事であったが、対応してくれた女性職員が気を利かせて市長室に問い合わせた。戸羽太市長はお忙しいだろうと事前に連絡はしなかったが、光栄にも市長がおいでて直ぐに市長室に案内していただいた。互いに挨拶を交わし、昨年からの話を遡りながら現状についてお話を伺う。また、共通の知人などのお話をさせていただきながら約30分ほど二人で懇談した。戸羽太市長の人柄や考えを十分に感じる事ができた有意義な時間だった。

その後、コミュニティハウスの建設予定地とコンテナミニキッチンの仮置き場を視察した。気仙側沿いに上流に昇り「川の駅」がある地区の小中学校には仮設住宅が200戸設けられている。しかし、川の駅以外は買い物をできる店も無く、知り合い同士が気軽に集える場所が無い。そんな問題を解決しようと、お茶飲み話ができる、寂しいときに足を向けていただくコミュニティハウスをボランティアで運営しようという計画だ。とくに後ろ盾になる組織があるわけでもなく、志をもったご婦人お二人が事業推進の中心となっている。設置場所も確認して、安心して使っていただけるよう無期限の使用を伝えコンテナミニキッチンの扱いを全て託した。

その後、震災後に建設された住宅が建ち並ぶ県有地を視察し、個人宅で地域のお話を聞かせていただいた。さらに、木村さんのお店に伺い、開店のご苦労話と今後の展望につて聞かせていただいた。思いとは違った方向で商売は進んでいるもののヒット商品を生み出し次の展開に向けて機が熟す頃を見計らっている。さらに、東京で仕事をしていた長男が家業を継ぐ事になり帰郷したことに目を細める。お店は工場が見えるオープンな造りで次々とお客様が訪れていた。お隣の雑貨屋、そば屋と相乗して賑わいを醸していた。昨年は2件の飲食店しかなかったが、外食できる店ができて利便性が高まり、繁盛店となっている状況を目の当たりにした。

その後、子どもたちが集う図書館にお伺いした。ここのスタッフも知り合いで、防災のまちづくりや瓦礫の利用法などについてお話を伺った。なかなか行政に声が届かない状況や様々な計画の決定プロセスが見えて来ないなど、行政スタッフも多く犠牲になられたこともあり、住民のコミュニティとともに意見集約の仕組みづくりが大切になると感じた。笑顔でお話しくださる女性スタッフは市外との交流にも積極的だった。内向きにしっかりとコンセンサスを得る事と、外からの新しい情報やマンパワーを受け入れる事の双方が成立して「新しい陸前高田」ができることを予感した。

陸前高田をあとにすると気仙沼で雨が降って来た。昨日と同じところで雨が降り同じ道で帰路についた。海岸のランドマークとして聳え立っていた「一本松」の議論を思い起こしながら、瓦礫処理について国と地域の間での隔たりを嘆いていた事、それぞれが大切な人と別れながら現実を見据えて前向きに生きている事、書ききれない記憶を整理しながら一ノ関に着いた。そして、新幹線の車内で心を熱くしながら次の訪問時のイメージを頭に描いていた。

4度目の訪問となる陸前高田市。市街地機能が失われたため他の地域より復興が遅くなるであろう陸前高田市のまちづくり。しかし、それをバネに住民と行政が議論を密にし、コンセンサスを形成しながら、同じ街をつくるのではなく、新しい、若い人たちが戻ってくる、活気のある街を目指している市民と市長の思いを感じた訪問だった。

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