2011年12月11日日曜日

111211 本質

一人で金沢に往復するときは、よくバスを利用させていただきます。
ですから、そのバスの乗客が少ないと不安になります。便数が減らされたりすると利便性の低下で悪循環に陥ると思います。

のと鉄道の輪島穴水間の廃線が決定される折に、輪島の経済界の重鎮が知事に陳情に行きました。それぞれ立派な立場を持たれた方々が、県庁まで移動した交通手段は貸切バスでした。笑い話のようですが、鉄道を利用しない、しにくいことを露呈しました。当然、知事から一喝されて言葉が続かない状況だったようです。

訴えるのは、学生さんであったり、老人であったり交通弱者の方々であるほうが自然なのに、それを解ったかのように陳情に向かう代表者の方々は、本当に困る方々の意を組んでいる訳ではありませんでした。自ら利用したことはなかったのでしょう。生活路線としての訴えより、観光、産業へのダメージがあるのではないかとの予想的観測とノスタルジーが優先しました。

これを繰り返さないよう、リーダーの方々は視野を広くして皆さんを引っ張っていただかなければなりませんね。

公共交通は「生活の足」という本質を見失わないように、とくに交通弱者にとっては重要な問題だということを念頭に置かなければなりません。


バスに乗ると思い出すこと。
それは自分への戒めでもあり、本質をしっかり見極めることの重要さです。

2 件のコメント:

  1. 知事の一喝に動顛したのでしょうが、陳情に行ったのは代弁者であって当事者ではない。実際に鉄道がなくなって困窮する実在の人々がいるのは確かで、彼らがバスで行こうが関係ない。
    冷静に見れば単純なのに、知事の言葉に言い返せなかったのは、他の頼み事でも考えていたのか・・・
    あの一件では、「本質」をうまくずらしたのは知事の方では?

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  2. noto400さん、コメントありがとうございます。おっしゃる通り、廃線の決定をした立場としては、良い材料を提供されたようなものだったかもしれませんね。交通手段を鉄道にしてもバスにしても結果は変わることはなかったと私も思います。ただ、存続を訴えるなら、利用者の気持ちをより理解しようとする姿勢で臨んでほしかったです。

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